Sunday, July 10, 2016

音そのもの

理由付け。
それは理論化って言うのかな。

そうなったら実は
作品の本当のファンタジーは無いんだよね。

だからPanorama S.O.の作品は
コードネームが無いものも多いんだ。
自由に作ったものだから。

まるで波のような
合理と矛盾の繰り返し。

コードシンボルじゃなくて
音そのものが音楽なんだよ。

シンプルな対位法が基本だけど
ハーモニーの3度を抜いて空気や聴く人に音を委ねたり
スクリャービン的な不思議な和音もある。

超初歩の例ではいえば
Zulu Chantとういう曲は
コードシンボルで書けば
C 7sus4+3rd

音楽理論では説明不可能ですが、
この曲はそうなのです。
ま、そんなのは西洋芸術音楽では当たり前の話なので
同業者には説明不要かもですが。

世界大会で入賞した火の鳥という曲も
解説すれば”アウト”つまり音楽理論から外れた音のオンパレードです。
しかし聴覚上はインサイド=自然に流れるもの、に書きました。
それは”アウト”が目的ではなく
”共に歌う”が目的だからです。

教育を受けていなかった時期の
チャイコフスキーみたいなものです。
その時期の彼の音楽の素晴らしさといったらありません!

しかし私は思います。
彼は大きな権威の中で生きましたが、
音楽自体はただ感性でそれを書いたのでしょう。

スティールパンのような合奏においては
ルールに則って小手先で
音を書くのは容易です。

しかし
自分の心の奥で何が鳴っているのかを
耳を澄ませてただひとつそれを求めて
表現してゆきたいですね。