メディアの世界ではパーソナリティーと言う肩書きなのかな、
小倉智昭さんという人がいるのだが、テレビなどで結構有名な人だ。
オレはこの人がなんか好きなのだ。
女性にとってはまあ、ウザったいというか所謂「オヤジ」というか、「男の年取ったヤツ」と言う感じで、普通に和やかだけど、裏も分かってる的な、どこか目が笑っていないドスのきいたタイプにお見受けする。
いろんな意味で、女を油断させてくれないタイプの人だろうと思う。
かと言って男同士でも気の置けない人だろう。
先日も天下の九重親方に名指しで「小倉君」呼ばわりされて、強権的に物言われていたが、
上手くかわしつつ、絶対に屈していなかったのはさすがだ。
鬘だとか何だとか、今だに話題してる奴らもいるが本当に情けない。
ブログをたまにチェックしているのだが、今世間で話題のこんな記事があった。
小倉智昭公式ブログ・海外の出産ニュース
何と言うか、もう20年以上前に「MAD MAX」という漫画みたいな映画を見たのだけれど、
年月が経つにつれて、何故かこのところ思い出される。
あの映画はストーリーや映像、内容は一見とても単純でワイルドだ。
コミック・漫画的で、言ってみれば脳みそ筋肉的な我々男が涙も流して、
ドカーンと満足する為のエンターテインメントという感じだった。
だがオレはあの映画を生み出した人間の発想の奥に興味がある。
勿論世界的大ヒット映画なので、そこで描かれていたのは一応ハッピーエンドなのだが、
実は今我々が向かっている方向への快感と不安を予見していたのではないかと思う。
それは何かと言うと、
セックスとヴァイオレンスだ。
快楽と暴力
言葉に酔って思考停止してはいけない。
もっと不細工な言い回しをしよう。
エロと殺しだ。
それは人間の永遠のテーマだよ、
などと言って、今はイェーだよ、Yo Men!、楽しもうぜ、いい男&いい女たち、
No Music No Life、Good Vibration、この世界に悪は無いんだよ、
と現実を見ないで嘯いているのが今の我々大多数の姿だ。
まるで無邪気なフリをしているが、実は自己や問題に対峙したくないだけだ。
そういう人達はものを考えたくないので、結果いわゆる烏合の衆と言える。
左から右へ気分で大移動する。
自分の周りを見て全体的にそう動くっぽいから何となく、という理由だけだ。
それに迎合していない人は「KY」と言われたりする。
また、今まで良心を持って社会を支えてきた奴らも、
どうしても自分の日々を派手に彩りたいらしく、
SEXやドラッグやワイルドやミュージック(なぜか音楽ではない)に日々一生懸だ。
とにかく、カストロの演説や彼のいち人間としての精神もろくに知らずに、
チェは生き方がカッコいいなどと憧れるような事は止めなければいけない。
欲、、
そこからあらゆる略奪やら何やらを発想することができるから注意が必要だ。
ギリシャは知の発達に爛熟した文化、知覚の追求は享楽と快楽。
それを滅ぼしたローマは実際的な力、肉体の賛美、そして従属。
そんな描かれ方をしている時もあるが喩え話としては興味深い。
考えようみんな。
一生懸命頭を使うほどに、なぜか反対に音楽は生まれてくるものだ。
ではまた。
Sing for your life...(Bobby McFerrin)
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