Saturday, February 14, 2009

H.B. Nico.

先日娘(にこ)の誕生日だった。
いろいろありながらも、とにかく可愛い、
ただひたすら愛している我が娘だ。
まあ実際には7歳のただのガキんちょだが。

そういえば、生まれてこのかた、
息子にも娘にも誕生プレゼントをあげていない。
理由は周りからとてもたくさん祝福を受けているというか、
はっきり言うと過剰に物品(プレゼント)を貰い過ぎてきたのだ。

実は子を持つ人は一度はそんな思いをどこかで持ってはいまいか。

大人の心の隙間を埋め合わせるのに、子供を使ってはいまいか。
そしてその為に私達大人がしている行為は、
本当のところ単にお金に帰結する行為ぐらいしか
思い付かないのではあるまいまいか。

でもまあとにかく、日本というか世の中そうなんだし、
まず周りに感謝するのが筋だろうが!、、とお怒りの諸兄方々もおられよう。

しかしそのような一見して反論できない正論みたいに見えるものが、
実は人の良心の呵責を突き、思考停止させ、ある方向だけにしか物事を行かざるを得なくする、
時として落とし穴のようになっているのではないかとも思う。

飛躍してしまうが、思考停止は世界中で起こっているテロやカルトなどにも究極的にはつながる。
この場合は小さな心の声、良心の声に嘘をつかないという人の心を過剰に逆手にとって人を呪縛する。
そしてお金を徴収するか、時間や労力、果ては命まで差出して戴こうという事だ。

真面目で善良、人のことを思いやる比較的控えめな人達は絶好の被搾取の人材だ。
試しに真面目な人へのダメ出しばかりしてみよう、何てたやすい行為だろうか。

失礼、ちょっと早急に独善的に論を進め過ぎたか。
面白くもない話になった。

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「鳩のように純真で、ヘビのように狡猾であれ」
これは聖書のたとえ話だが、
まさに最近は人の行為の裏を疑い知りつつも、
人の心を信じていく姿勢でいなければならない。

だがしかし、人は人を信じなければ何があるというのだ。

そうでなければ、ただ虚しく、
全ては空なりという禅の世界と同じくする。
禅は人間それぞれの個人としての意味・存在理由であり、真理ではあるが、
隣の人に手を差し伸べるものではない。

これはオレにとってまったく、
音楽のファンタジーでも何でもないし、
やりたい事(希望・のぞみ)ではない。

まあ、こんな当り前の事を記している。
退屈男。

また動きがある事を望みつつ。

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